時代劇でよく舞台になる、江戸時代。
文献が残っており、当時から続く文化も多い。
けれど、主君に従う封建制度だけに、絶望することも……。
武士は食わねど高楊枝
二刀差しをするのが侍で、主君を持たなければ浪人。
旅で護身用に脇差を帯に差すのは、『東海道中膝栗毛』の弥次喜多もやった。
役職につけば屋敷に住める
主君は、大名や家老のように、名のある人間。
その藩に仕えている武家の長男に生まれれば、家督を継いで、父親の役目も引き継ぐ。
上の役職であるほど、その敷地は広く、塀で囲われ、出入りの門がある屋敷。
いわゆる、拝領屋敷に住んでいました。
奉公人である小者、中間、武士に属する足軽まで住み込む、1つの街。
与えられる俸禄で、それらを養い、お役目が変われば引越し。
藩の土地であり、官舎という扱いゆえ。
中級より上の武家には、湯殿があります。
湿気と火災に備えての別棟が多く、昭和の戸建てでも、風呂が別の建物。
週2~3回の入浴で、どのような風呂かは時代による。
暗殺される危険があるVIPゆえ、公共の湯屋は対象外。
役なしは自宅待機が基本
侍には、役目のない者も。
「無役」と呼ばれており、家督を継げない次男からの部屋住み。
あるいは、怪我や病気で解任された場合。
仕事がないから、出勤する必要はない。
下級の武家が住んでいる長屋か、親戚や知人を頼るのみ。
足軽町、中間町に、下級武士のための長屋。
原則的に、藩士でなければ入居できず。
最低限の家禄が与えられるも、算術指南のような内職が必須。
それでいながら、武士の交際を欠かせず、旧友と飲み会などの付き合い。
長屋の相互扶助も、当たり前。
「武士は食わねど高楊枝」は、その生き様。
これには、給料を受けとった扶持米を現金に換えるときの相場の下落が大きい。
加えて、物価の上昇による苦境も……。
江戸滞在は藩邸で共同生活
参勤交代による、江戸住まい。
上京する主人にお供したら、江戸に住みます。
今でいう一等地に上屋敷、他にも中屋敷、下屋敷があり、身分に応じて滞在。
藩邸には下級武士が共同で暮らす長屋があり、自衛隊の営内に近い。
午後6時ぐらいの「夕六つ」の鐘が鳴るまでに帰らなければ、脱藩として切腹もの。
だが、見張りに袖の下か土産を渡せば、入れてもらえる。
江戸勤番は、藩邸で仲間と暮らせるうえ、手当も。
地方とは比べ物にならない娯楽、学問、料理があり、蘭学や剣術をまなぶ者もいた。
吉原のような男の楽園もあり、借金や刃傷沙汰のトラブルでの処罰があとを絶たず。
切腹を命じられた、禄を減らされたと、悲喜こもごも。
奉公人や遊女という人生
江戸と言えば、丁稚奉公!
遊郭にいた遊女とあわせて、彼らの人生を見てみましょう。
入ったばかりの丁稚は番頭へ
丁稚は、10歳ぐらいの少年。
江戸にある商家で勤めるも、親が人買いや仲介人に売った結果……。
今で言えば、「コンビニに住み込みで働く」という状態。
大部屋に寝泊まりすることを許され、大量の白米を漬物で食える。
使用人のトップである番頭も、同じメシを早食い。
序列は、丁稚がメシを食うだけの雑用係。
20代後半でようやく手代になり、給金が出る身分で、帳簿付けや得意先へ出向く。
さらに上の番頭は店の責任者であるものの、40代。
暖簾分けは難しく、旦那の娘をめとる政略結婚で今の店を継ぐことが現実的。
盆と暮れに休みをもらえて、給金が出る。
ただし、当時はツケ払いが当たり前で、手元に残る金はない。
「見込みなし」と思われたら、すぐに暇を出されるうえ、辛くて逃げ出す丁稚も。
平均寿命23歳となる遊女
親に売られてきた、10歳ぐらいの少女。
遊郭では禿という立場で、見習いから。
自分が買われた値段がそのまま借金となり、完済するまで自由になれず。
先輩の世話や芸事を習いつつ、丁稚のような盆暮れはなく、外出禁止。
大部屋に押し込められるも、白米と漬物を食えて、要領が良ければ、オカズも。
昼夜逆転のうえ、性病や過労、人間関係などのストレスもあって、早死に。
平均寿命は23歳で、遊郭のそばにある「投げ込み寺」に埋葬する。
遊女の借金は生活費などの名目で増え続け、身請けされない限り、年季明けまでの奉公。
『鬼滅の刃』の遊郭編は、マイルドでした。
花魁が最上位となっており、大名などの相手。
京都や大阪では、太夫と呼ばれていました。
彼女たちが客を選ぶ一方で、端女郎のような最下層にその余裕はない。
飯炊き女という苦界もあった
遊女とは別に、辛すぎる人生を歩んでいた身分も。
飯炊き女と呼ばれる、春を売りつつも、接客、炊事をやっていた人々です。
昔のホテルである旅籠では、飯を炊く必要があります。
泊まってもらうために無許可の遊女としても働く、飯炊き女。
公認の遊郭は都市部だけで、地方の性的サービス。
江戸時代の炊飯は、重労働。
風呂を沸かすことも仕事だったでしょうから、シャレになりません。
実家に売られるか、借金のかたが多く、奴隷と同じ。
幕府と藩は、「飯炊き女による売春の禁止」のお触れ。
しかし、それでは旅籠の経営が成り立たず、黙認。
飯炊き女の視点では救いがなく、身請けによる逆転を夢見つつ、一晩でも自分が認められることでの幸福感があったでしょう。
裏長屋の住人はその日暮らし
江戸で大半が暮らしていたのは、裏長屋。
四畳半ぐらいのスペースに、家族ごと住んでいました。
口入屋で日雇い仕事をもらう
派遣会社のような口入屋に登録して、日雇い仕事。
その金で晩酌しながらメシを掻きこみ、裏長屋の部屋に帰って、寝ました。
菜種油、魚油が流通していて、行灯を使えます。
とはいえ、一晩で日雇い1日分の稼ぎを失う。
日没で店仕舞いするのが、当たり前。
夜明けから日暮れまで、土木工事、荷運び、水汲み、薪割り。
変わったところでは、冠婚葬祭の行列への人数合わせでの参加も。
日銭は、「1日働けば、晩酌をしながら食い、数日分」というぐらい。
だが、天候と景気によって仕事の有無が変わり、ケガや病気で詰む。
水分補給の知識もなく、夏も12時間オーバーの労働……。
長屋はそれぞれの竈で自炊
裏長屋は、屋内に竈を備え付け!
井戸、トイレは共同で、譲り合って使う。
肉体労働で疲れ切ったあとの炊飯は、無理。
酒とメシがある居酒屋が増えて、すぐ食べられる屋台も。
「煮売屋」と呼ばれる総菜屋が移動販売をしており、武家も利用。
裏長屋でメシを焚くのは、暇を持て余した侍か、旦那が働いている女。
1回で多めに炊き、冷ご飯を茶漬けのように食う。
真冬には、この竈で火を焚き、白湯やお茶を飲むことが生命線。
温かい汁を飲めるだけで、食生活が大きく変わります。
屋台などの外食が多い
江戸は、地方から出てきた男ばかり。
口入屋で紹介された仕事が終わったら、屋台や居酒屋で食う日々。
居酒屋も、午後6時ぐらいに閉店。
夜鳴き蕎麦ですら、宵の20時で終わりのうえ、数は少なかった。
とはいえ、現代に近いライフスタイル。
屋台だけでも、これだけの種類がありました。
- 天ぷら
- 串カツ
- 握り寿司(現代の3倍サイズ)
- 蕎麦、うどん、冷麦
- 田楽(焼き豆腐に味噌ダレ)
- 焼き餅、団子
- 焼き魚
- おでん
- おにぎり
裏長屋にプライバシーはなく、音、匂いがダイレクト。
美味そうなものを作れば、味見と称して、奪われるだけ。
喧嘩の原因になった事例も、多々あります。
そういった面倒がなく、他人の目を気にせずに食える屋台は、孤独のグルメ。
江戸の暮らしも楽ではない
地元で居場所をなくした人の、ラストフロンティア!
「宵越しの銭は持たない」という名言は、明日が分からない裏返し!?
棒振りのような移動販売も
「自分で仕入れて、販売する!」
江戸には、このスタイルもありました。
天秤棒の左右に岡持ち、桶を吊るし、歩きながら売っていくのが、棒手振り。
自宅で作った惣菜などを売り歩く、一番手軽な屋台。
ワンランク上が、手押しの屋台車に一式をのせて、売り歩く。
軽店舗に分類され、天ぷらのように複雑な商品を出せる。
しかし、そこの町年寄に話を通して、屋台講などの集まりへの参加が必須。
場所代も支払います。
現代の博多などで見られる屋台も、これと同じ。
長屋の軒先のように、常設に近い屋台も。
けれど、大家の了承が求められたうえ、奉行所にも届け出。
江戸は火事に悩まされて、天ぷらのような調理はデリケート。
棒手振りは、すぐに始められて、高齢者の生業の1つ。
売っている人のキャラで人気が出ることが多く、気っ風(きっぷ)と義理人情の世界。
客同士で話し合える場として、評判になった屋台も。
身分制度による理不尽
士農工商による、身分の差。
しかし、武士が無礼打ちをすると、詮議により切腹も。
生活エリアが違うこともあり、日常では意外に柔軟だったそうで……。
けれど、身分が違う者とは結ばれず、会うことすら叶わぬ。
「あの方に会いたい!」という一心で放火をして、極刑になった女もいた。
恋愛する自由はなく、結婚相手も決められる。
武家は米で給料をもらうが、下がる一方のコメ相場では、物価の値上がりに無力。
御用商人に差し押さえられては、徳政令で借金をなしにする。
「身分を超えた贅沢」と見なされた商人が、財産を没収されることも。
お上は滅多に動きませんが、武家に許された屋敷、服装、行動パターンは許さず。
大火という悲劇
江戸は、世界的な都市。
ところが、大火になっています。
- 1657年 明暦の大火
- 1772年 明和の大火
- 1806年 文化の大火
明暦の大火は、防火という認識がないタイミング。
それだけに、「10万人の犠牲者が出た」と言われています。
この悲劇を繰り返さないため、火除地、道路の拡張と、様々な対策を進めました。
記録に残っていないボヤは、月イチ。
その度に、火消しの組が周りの建物を壊して、延焼を防ぐ。
火事と喧嘩は、江戸の華!
大都市をリセットしつつ、新たな雇用を生み出した側面はあれど。
やはり忌むべき災害で、「宵越しの銭を持たない」という、裏の意味にも……。
